活動履歴

永久平和を願って

終戦の日

1945年7月26日(昭和20年)、ポツダム会談での合意に基づいて、アメリカ、イギリス、中華民国などの連合国により、大日本帝国に対して13カ条から成る降伏勧告「ポツダム宣言」が発せらました。第10項では「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」と規定されています。

続いて、1954年8月8日には、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の4カ国が「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」通称「ロンドン憲章」または「戦犯協定」を締結しました。この協定により、「平和に対する罪」と呼ばれる新しい戦争犯罪の概念が導入されました。ただし、1915年のアルメニア人虐殺に対する英仏露共同宣言によって「人道に対する罪」の概念が既に存在していたことも考慮されます。

1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、15日に終戦となった。この際、アメリカ政府は占領政策を円滑に進めるために、天皇の存在は欠かせないと判断していたため、昭和天皇の訴追はなされなかった。

ポツダム宣言受託後受託後、昭和天皇の訴追は行われなかった代わりに、東條英機を含む7人の指導者が『A級戦犯』として死刑となった。第40代総理大臣であった東條英機は花山に影響を受け、浄土真宗に帰依し、独房では「浄土三部経」などを読み、念仏を唱える毎日を送っていたと言います。これは、A級戦犯の死刑執行とともに、東條英機の内面や信仰に関する一面を示しています。

執行前日、明日の執行を告げられた東條は「死ぬ時期は、いい時期だと思います」と述べ、「国民に対する謝罪」や「平和」のための犠牲となること、陛下に累を及ばさないことなどを伝えました。そして阿弥陀仏に帰依したことで、「喜んで死んでいける」と語っています。

彼らの死にざまは、フランス革命によって市民たちに処刑された、フランス王妃 マリー・アントワネット(1755〜93)の最期を連想させる静謐(せいひつ)な死だったとされています。

誰かが悪いと言っているうちは争いが起きる。
いつもたくさんの体験話や石碑、資料館が戦争について教えてくれる。

私だったら、『戦いは起こしてはいけません』と言う。

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