活動履歴

対馬丸記念館

エイサーでにぎわい、気温があたたかく、海が美しく綺麗で、本土の疲れを癒やす場ともなる沖縄。

沖縄へは何度か来る機会があったが、歴史を学べる場所に来るのは今回がはじめてだった。

上の子が小学一年生のころ、送迎をしていると1人の車椅子に乗ったおじいさんから戦争の話を聞いた。

『今の子供たちは色んな選択ができていいねぇ。私たちのころは、特攻隊に入るしかなかったから…』と悲しくほほ笑みながら、どこか遠くをみて話してくれた。

対馬丸の事件とは、昭和19年(1944)徐々に近付いている戦争を回避するために老、幼、婦女子が那覇から長崎へ疎開する途中、既に戦場になっていた海で魚雷の攻撃により、1788名のうち約8割の人々が亡くなった事件だ。

当時を振り返った方々のエピソード、遺影などがあり、涙なしでは見られなかった。

もしも今、自分がそんな状況におかれたら、自分の大切な人たちがそんな状況におかれたらと思うと居た堪れない思いだ。

エピソードの中で、特に印象に残っているエピソードがある。

撃沈した船から生き残った児童が漂流し、大人に魚を取られて悔しい思いをした、嘔吐の繰り返しで飢餓状態、昨日死んだ男の子の赤ちゃんが浪にさらわれていなくなっていた、優しくしてくれたおばあさんが目を開けたまま死んでいた、人喰いフカが襲ってきた、救助が来て助かっても何があったかは言ってはいけないという箝口令、生き残ってもなお続く苦しみ。

戦争というのは、決めた者がするのではなく、実際には国民、社会的に立場の弱かった女性や子どもが命を捨てる必要があるのだろうか悲しい出来事だ。

そんな悲しみの連鎖について、対馬丸記念館にはこうつづってある。

『人々の想い、それは平和への強い「希望」です。戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます。その悲しみの大きさを希望にかえる努力をしないと憎しみが報復の連鎖を呼びます。』

私たちができることは、この出来事を忘れないこと。

そして武力で相手を押さえつけることではなく、お互い考えが違ってもいい、対話によって解決の糸口を探すことだ。

今まで映画や話では聞いたことはあるが、現地の歴史的資料館に足を運ぶことで、沖縄の今までみえなかった悲しみを、わずかだが知ることができた。

沖縄戦の前に、終戦の機会があった。

政治への責任を認識すると同時に、悲しみを希望へ変える努力をしていかなければならないと感じた。

春口あかね

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