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「労なくして得る優位性」
あなたは自分が差別していないと思っていませんか?
私たちは、一般的にマジョリティ性とマイノリティ性の両方の属性を持っています。
マジョリティは、人種・民族、性別、性的指向、性自認、学歴などの属性を見たとき、すでに配慮された社会で暮らすことができます。
マジョリティ性を多く持つ人々は、自らの「特権」に無自覚になりやすいです。これにより、当たり前ではないことを「当たり前」と勘違いし、社会における構造的な不平等にも無自覚になることが多いのです。
今日の予算審査常任委員会で「合理的配慮」の話題が出ました。これを「健常者特権」の例で考えてみると、健常者は自分たちが「ふつう」であると思い込んでいることが多く、障がい者に対して配慮「してあげている」と考える人も少なくありません。しかし実際には、建物や設備など、社会のあらゆる場面が健常者側が効率的に生活できるように設計されており、健常者はその「配慮」自体に気づかないことが多いのです。
政治の例を挙げると、有権者の51.7%が女性であるにもかかわらず、衆議院議員に占める女性の割合は10.0%(2023年2月13日)、参議院議員に占める女性の割合は26.0%(2023年3月30日現在)と、女性の政治参画は依然としてマイノリティです。
多数決で決定される状況において、生理に関する問題や子育て、働きやすさなど、女性はまだ社会的に不利な立場にあることが多いのです。
マジョリティ性を多く持つ人々が、自らの特権に無自覚であることがなぜ問題なのでしょうか。
それは、「自分は特に優遇されていない」という認識のもとで生活しているため、「自分はふつうで、特別ではない」「私は差別をしていないし、何も悪くない」と思い込んでしまうからです。この考え方は、差別の現状に対して「自分は変わる必要がない」と思っているのと同じです。
差別に関して、マジョリティ性を多く持つ人々が「自分は変わる必要がない」と考えることは、裏を返せば「マイノリティが変わればいい」と考えていることと同じです。もし自分が変わる必要を感じず、変わることに抵抗していると、社会は変わらず、本質的な変化は期待できません。
特権への無自覚が問題であるもう一つの理由は、誤った差別の認識に陥りやすいことです。無自覚に「逆差別だ」とマイノリティを責める思考になりがちです。
「自分は優遇されていない」と思っているため、企業や政府がマイノリティに対して是正措置を取ったり支援を行ったりすると、「自分よりもマイノリティが優遇されているのは逆差別ではないか」と思い込んでしまうのです。例えば、日本では「女性専用車両があるのは不公平だ」「男性には男性専用車両がない」といった声がたまに聞かれますが、女性専用車両は性被害の対象になりやすい女性への保護措置です。
男性が社会で得ている特権に無自覚であるからこそ、このような発言が出るのだと考えます。
企業や政府が是正措置をとったり支援したりすると「自分よりもマイノリティが優遇されている、これは逆差別ではないか」と、マイノリティが過度に保護されている、不公平、ズルい、と考えてしまいます。
「特権」とは、あるマジョリティ側の社会集団に属していることで『労なくして得る優位性』と定義できます。努力の結果ではなく、たまたまその社会集団の一員として生まれたことで、自動的に受けられる恩恵を意味します。
私自身は、性別と性自認は女性(シスジェンダー)、健常者であり、これはマジョリティ側の属性に該当します。しかしシングルマザーであることはマイノリティであり、このことにおいては社会的にまだ暮らしにくく、働きにくい状況が続いています。
このように、マジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)の存在を全員が理解し、特権を意識することで、社会を変える立場にいることに気づくことが大切だと私は思います。
本日は1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、国連によって1975年に3月8日が「国際女性デー(International Women’s Day)」として制定されました。この日を通じて、全ての人が当たり前の権利を受けられる社会的実現を目指し、構造的な変革を進めるために、組織内の意思決定の場にマイノリティ性を持つ人々を増やす必要があります。
すべての人が自分らしく生きることができる社会を目指し、その勇気を称え、前進していきましょう。